平成23(2011)年の東日本大震災では多くの人が傷つき、苦しみのどん底に突き落とされました。テレビなどで被災地の惨状が映し出されるたびに胸が詰まり、言葉も出ませんでしたが、こんなときこそ、ひと際身近に感じられるのが人の愛、人情です。その極みが母の愛、と言っていいでしょう。平成23年5月の技量審査場所初日の5月8日は母の日でした。女性っ気の乏しい世界に住んでいる力士たちですが、意外に多いのが母親っ子です。そんな力士たちとの母のエピソードを紹介しましょう。
断髪式で母がハサミ平成22(2010)年初場所4日目、大関在位65場所という輝かしい実績を残し、大関千代大海(現九重親方)が引退を表明した。
綱取りに挑んだときもあったが、晩年は体のあちこちの故障に苦しみ、不本意な場所が続いた。この千代大海を語るとき、母の須藤美恵さんを抜きにしては語れない。手の付けられないヤンキーだった千代大海が、
「一緒に死ぬか」
という美恵さんのひと言で入れ替えて、九重部屋入りを決意したのは有名な話だ。
美恵さんは故郷の大分市に住んでいるが、たとえ隣の福岡で行われる九州場所でも滅多に応援にやって来ない。心配で息子の相撲を見ていられないのだ。平成18年九州場所12日目、千代大海はこの美恵さんの重い神輿を、こう言って挙げさせるのに成功した。
「来年はもう現役では来られないかもしれない。オレの最後を見届けろ」
この日、その美恵さんの目の前で琴光喜の攻めをしのぎにしのぎ、最後は引き落としで粘り勝ちした千代大海はいかにも嬉しそうに目を細め、
「オフクロの前で不細工な相撲は取れないものね。それにしてもよく我慢したな。オフクロの席はどの辺りか、分かっていたけど、とても見る余裕はなかったよ」
と苦笑いした。
母は白星の元でもある。
引退はその4年後。ここでもよく粘ったと言っていい。引退相撲はその年の10月2日。柔道の五輪金メダリストの吉田秀彦さんや、WBA世界フライ級チャンピオンの亀田大毅ら358人がマゲにハサミを入れたが、師匠の九重親方(元横綱千代の富士)が止めバサミを入れる直前、千代大海は大分から駆け付けた美恵さんにもハサミを入れてもらった。ただ、女性は土俵に上がれない。そのため、自分がわざわざ土俵下まで降りていったのだ。
非常に珍しい光景で、この異例の断髪式について千代大海は、
「入門のきっかけを作ってくれたのがオフクロですからね。なにがあってもハサミを入れて欲しかったんですよ」
と頬を赤らめて話し、美恵さんも、
「最高の親孝行をしてもらいました」
と嬉し泣きした。こんなふうに堂々とした親子関係もまた、素直にうなずけてなかなかいい。
月刊『相撲』平成23年5月号掲載